田中勝也氏と「解読 上紀」 | ||
田中勝也氏逝く |
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2016年6月13日 「解読 上紀」管理者 吉森 健 |
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昨年(2015年)7月17日午後6時26分、病気療養中の田中氏が亡くなった。 一周忌を前に今日謹んで田中氏へ感謝の言葉を記す。 二十年前、大分を訪れた田中氏からウエツフミ解読の仕事を成し遂げたことを聞き、 私は、田中氏に「出版の前に、インターネットで公開しては如何でしょうか」と提案した。 このとき田中氏から、私がウエツフミという文書をどう思っているかを質問された。 「偽書だと思うが一体誰が何のために書いたのか、それを知りたいのです。好奇心です」と答えた。 ウエツフミの謎に自分が決着をつけたいという荒々しい申し入れだったのだが、田中氏は快諾してくれた。 田中氏はウエツフミの作者に関して幾つかの仮説を語り、大分県人の私を激励してくれた。 発見者の幸松葉枝尺が作者であるという説もその一つであった。 2005年、「註釈 上紀」を完成させた田中氏は、すでに解読を終えていた大分県立図書館「大友本」のデジタル化を考え私は意見を聞かれた。 しかしその年の秋、田中氏は病に倒れ、「大友本」のデジタル化の作業は私が引き継ぐことになった。 田中氏の努力が如何に大変なものであったか、その一端を知った経験であった。 三年前、本サイトを目にした臼杵史談会から、ウエツフミについて何か書いて欲しいと声が掛かり、臼杵市教育委員会で作成した春藤倚松大友本の画像データのコピーを提供された。 私は、病床の田中氏に結果をまとめた論文(「春藤倚松大友本で見えてきた偽書ウエツフミの作者」臼杵史談104号2014年2月刊)を送り、評価を乞うた。 「宗像本」も「大友本」もその作者は、発見者である幸松葉枝尺以外には考えられないという結論であった。 田中氏から「安堵しました」という感想を頂いてほっとしたのであった。 この論文の執筆中、竹田市の橋爪春海氏の研究の重要性に気が付いた。 橋爪氏はウエツフミ研究史上最初に、幸松葉枝尺作者説を主張した人である。 写真は、1998年、田中氏が竹田市の橋爪氏を訪ねときのものである。 正面が橋爪氏、左が田中氏、手前左の背中が同行した私。 |
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※写真 平成17年刊「註釈 上紀」より | ||
田中氏は、「偽書考」(1980年)、「上記研究」(1988年)の中で橋爪氏の論文の重要性を指摘しつつも、最終的な判断は、「大友本」の解読・研究を待ちたいという態度を守っていたのである。 田中氏は、あくまで批判的・客観的な、緻密な論理で執筆を進めてきた研究者であった。 ウエツフミの作者についても、最後まで一つの結論を出すことはせず、また論理的可能性のある仮説を捨て去ることを避けてきた。 この態度は、「上つ文はしかき雑攷」(「上記研究」付録論文)で中村和裕氏も共有しているものである。 橋爪氏の発見は幸松葉枝尺の文書に基づく言わば物的証拠だったが、それがウエツフミを幸松が書いた証拠になるということの論証のほかに、その文書と宗像本原本との関係、また、臼杵で見つかった大友本の作成過程の解明などの問題が残されていたのである。 やはり「大友本」の分析を待つ必要があったのである。 私は、これらの問題に取り組む必要を感じて、昨年の四月、「補論 偽書ウエツフミの作者 幸松葉枝尺と大友本」というタイトルで臼杵史談への執筆を開始した。 田中氏は七月に亡くなった。 臼杵史談106号の刊行は今年の五月であった。 なんとしても田中氏に今回の論文を読んで貰いたかった。 橋爪氏を竹田市に訪ねた帰り道、田中氏は野津町の故安藤一馬氏のお墓に参った。 その時田中氏は、生前の安藤氏についての思い出話を私に聞かせてくれた。 「若者がウエツフミを読むのは危ない。老人はいい」と安藤翁は、田中氏に語ったそうである。 吉良義風のことを胸にして出た言葉であろう。また自分の若い時を重ねていたものでもあろう。 忘れられない言葉であった。 田中氏は、安藤氏作成の写本を譲り受け、ウエツフミの解読に邁進した。 「『上紀』は明治初葉、幸松を中心とする豊後の国学者・文人グループによって筆写され、中央政府に上進された。初め政府によって書写・保存されたが、政府は文献評価を避け、事実上却下した。その後、この書に対する国文学、国語学、書誌学、歴史学などの面からの客観的な検討・批判は行われていない。私は、この書の全貌を捉えるとともに、真偽論を含むこの書の文献価値評価、国学・神道思潮に於けるこの書の成立動機、成立背景、編纂主体を究めるべく昭和49年以来研究を続けている。この書の翻訳・普通文字への変換はこれまで一・二の研究者によってなされてはいるが、概要の把握にのみ終わっているか、或いは全訳とはいうものの主観的・恣意的な解釈・当て字が多く、この書の全体像の理解には不十分との印象を拭えない。私は、国学者による記紀古訓の研究など今日に至る国語学、国文学の成果・伝統を踏まえて、可能な限り客観的で正確なこの書の普通文字正本を得るとともに、解読の理論的説明としての注釈を施すことが先決と考え、その達成を期している。その結果、これまでに一応の解読試案をまとめるに至ったので、この ほどインターネット上でその成果を逐次公表することとした。」 本サイト「解読 上紀」序文 の一節である。 田中氏の努力で、偽書ウエツフミは地方史研究の対象として再生したのである。 |