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No.22 山崎 好裕
「上つ文」のアーコロジー
国学者幸松葉枝尺の達成

 
No.16 藤島寛高
ウガヤフキアエズ王朝実在論
 
★解読 上紀(うえつふみ)
 ■一体 誰が何時なんのために書いたのか。
■「解読 上紀」へのご感想・ご意見をお聞かせください。
      ◆投稿のきまり
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No.16 リンクを貼らせてください。藤島寛高2013/07/28
こんにちは、本当に貴重な文献を公開していただき、どうもありがとうございます。
私は、大分県出身なので、ここに書かれてあることが手に取るように分かります。
そこで、自分なりに現代語に訳してみました。
さらに、いろいろな考えをメモしているうちに、サイトになってしまいました。
ここで、ぜひ田中様のことをご紹介させていただきたいので、リンクを貼ることをお許しください。
http://ugaya.jimdo.com/
今後もコンテンツを追加してゆきますので、もし何かコメントがございました、上記サイトの「お問合せ」からご連絡ください。
よろしくお願い致します。


 
No.15 大変すばらしいのですが、・・・香田2013/03/06
こちらのサイトを拝見して、本当にすばらしいお仕事だと、敬服いたします。アクセスがあまり無いようですが、是非、多くの人に知ってほしいサイトで、無くなっては困ります。

ただ、大変気になるところがあります。解読文にあるWeb注記で、古事記に対して、その部分が『何時もの創作手法』とか、『作為による創作』とか、まったく上ツ文を偽書と決め付けてかかっています。偽書と決め付けている文献に、これだけ労力をかけるのも、ある意味異状だとは思いますが、そういったコメントを記する場合は、根拠を明確にすべきではないかと思います。


コメント2再度、大変すばらしいのですが、香田2013/05/16
例えば、第2綴り、第9章二神の誓約と御子生み の概要に、「この誓約儀式の前段の様子を上紀は、「侍者が剣と瓊を机に載せて頭上に捧げ持ち、七歩離れて平手を拍ちかしこむ」と記述している。これは謙譲の礼法を描いていて、古俗を伝えているものとして軽視出来ない。」とか、第3綴り、第18章神招ぎの楽器の作製の概要は、「この箇所では「とこ」の名の古代楽器が登場していて珍しい。その他、笛、法螺、鼓、琴などの古代楽器の起源が語られていて興味深い。」第19章宮殿の建築や供膳作法の概要、「神に奉る膳部の叙述は、人々の供膳作法の実際を映し出しているものとして民俗学的にも軽視できない。」と評価されている。でも、これらは上つ記に特異だから評価されていると思います。他のどこかに書かれていたら、こんな評価はしない。
田中氏の評価で特徴的なのは、特にストーリー展開で、記紀などと異なるところになると、創作的などと言う言葉を使う。
私から言わせると、前に掲げた民俗学的な物だって、他に記述がなければ、それこそ創作的です。要するに、ストーリーに対する評価と、民俗学的なものなどに対する評価に一貫性が無い。
なぜ分けるのか理解に苦しむのです。
ストーリーに対する好みとしか言いようが無いと思えます。


コメント1田中氏の創作説話説について海人茶2013/04/06
田中勝也氏は、本ブログの序文で、
「本書の記事は、一定の伝統的伝承・知識・古語をベースにして編述された創作説話ではなかったか」と書いています。そうした評価は、「国学者による記紀古訓の研究など今日に至る国語学、国文学の成果・伝統を踏まえて」解読作業を進めていった結果にもとづく「中間・暫定的評価」であるとしています。
ご指摘の「『何時もの創作手法』とか、『作為による創作』」と注釈のついたウエツフミの部分は、田中氏の研究では他の文献との関連が見つからなかった文章だったということだと思います。
「偽書と決め付けている文献に、これだけ労力をかけるのも、ある意味異状だとは思います」とのことですが、確かに、田中氏の研究に感じられる情熱をもってウエツフミの研究にとりくむ人は近い将来には現れないかも知れません。
しかしウエツフミが偽書の一つであったことがわかってきても、誰が何のために、どういう状況下で作成されたかはまだ不明です。
それらの残された問題についての研究はそれほど異常なものとは思われないのですが、いかがでしょうか。
とくにウエツフミの発見された地方の歴史研究者にとっては黙殺しきれない研究テーマの一つだと考えるのですが。
古事記以前の文献、ムー大陸の伝承といった類の夢やロマンの要素はなくなったかも知れませんが。



 
No.13 名前探しアマテラス2011/06/22
上記の中でタメラスメラミコトという
名前は出てくるでしょうか?

わかる方がいらしたらお教え願います。


 
No.12 星辰伝承に関して雪彦2010/10/26
上紀には多彩な星辰伝承があると聞いたことがあるのですが、写本には書いてあるのでしょうか?
国生みのところのみでしょうか?


 
No.11 ご先祖さんの系譜を探して大神系大友氏子孫より2008/05/13
非常に珍しい苗字なので調べたら、大分のインターチェンジの名前だと判明し、地元の資料館の学芸員に大神氏系の大友氏の子孫であるということが判明しました。そこで、三輪系大神氏の系譜と古代大物主系の祖先を調べるうちに、上記に行き着きました。

しかし、偽書とされており、先祖がそういう類の存在か?とがっかりしております。



本当に、偽書だったのでしょうか?

因みに私は科学者なのでどうしても先祖が偽書を書いたことが心苦しいです。



コメント1re:ご先祖さんの系譜を探して匿名2008/09/27
簡単に結論付けられないと思います。偽書論の多くは神代文字の否定から始まっており、過去の国学者の研究を鵜呑みにしているような発言が多いのです。
実際がどうかは別としても、これから出てくる新たな文書等の突き合わせや研究如何によっては、偽書扱いではなくなるということもあり得ます。そもそも偽書に興味を持って研究を始める人はいないでしょう。みんな偽書ではないかもしれない可能性を少なからず信じていると思います。


 
No.10 除三千外更充別途門九 吉田2008/05/01
「上つ文はしかき」によれば、貞応二年(一二二三年に豊後大守大友能直(よしなお)が、当時各地に伝承されていた十五種類以上の書を底本として編集したものという。

しかしそれらの底本は一つとして今にその書名すらも残してはいない。

春藤茂(倚松)の記した上記の内抜粋記(現在のメモ帳)に

除三千外更充別途   貞永元年七月十八日

と記された石の事が書かれている。何と読み何を意味するのであろうか。

明治初期に書かれた春藤メモ、友人達に城跡公園を散歩するときは気をつけてくれ!と言っていたが、数ヶ月の間見ることが出来なかった。

今回、臼杵城整備事業の一環としての発掘調査で出土した。貞永の文字のはっきりみえる。

貞永とは西暦1232年です。上記はしがきに近い年代。そんな物が発掘されて不思議な気がしますです。

下記に画像入れています。

http://www.coara.or.jp/~myks4/tokuho/tokuho.html





 
No.9 ウガヤ朝の欠史について一二三2008/01/19
ウエツフミでは、ウガヤ朝は全部で73代あることになっていますが、何故途中で飛んでしまっているのでしょうね?
同じくウガヤ朝を掲載している竹内文書では、その欠史が全てあります。全てを欠落なく載せているウエツフミはないのでしょうか?



 
No.8 ささやかな誤植神奈備2007/05/19
 興味深い上津文の公開、感謝にたえません。
 なお、第7綴 第15章 十二悪神を滅ぼす 2p の注釈 ↓
http://cgi.coara.or.jp/~fukura/uetufumi/chu/c0715025.htm
 は、一つ上の注釈(715020)と同じ内容です。
 修正を来たいします。

http://kamnavi.jp



コメント1調べてみましたが?管理者2007/05/20
ご注意ありがとうございます。
早速調べてみましたが、注釈0715020は存在しません(一つ上の注釈は0715021です)。
お確かめください。



 
No.7 「上記」について教えて下さい。蹇蹇生2007/03/09
 私の友人S氏(臼杵)は、某旧家の出身ですが、「神代事記」と称する奇妙な文字群と詞が伝承されていたそうです。それらは江戸期以前のものと推理でき、どちらかといえば、文字というよりも、何らかの意味を有した記号に思えるのですが、或る事情を考慮すると、「上記」とも何らかの関係があるのではないかとの疑念が捨て切れていません。
 そこで、「上記」にお詳しい管理者の方に、参考までにお尋ねしたいのですが、「上記」には、原型となった又は派生したと推測される古文書が確認されているのでしょうか。それとも、「上記」という文書は、忽然と現れ、そして消えたものなのでしょうか?





コメント2コメントを有難うございました。蹇蹇生2007/03/11
 何だか要らぬ期待を抱かせてしまったようで申し訳ないのですが、残念ながら、当該文字群(記号群とした方が正確かもしれません。)は「うえつふみ」写本などと大そうなものではなく、もっと稚拙なものです。すなわち、貴HPにも紹介されている「上紀異体仮名表」のように完成された文字ではなく、単に何かの意味を有した又は暗示された記号と認めるのが相当だと思います。

 一方、そこに添えられた「詞」の方は少々興味深く、一見、何かのまじない文か暗号に思えたのですが、私の分析では、音韻を一度だけ使用した「いろは歌」の一種であり、それも一部が入れ替わった3つのバージョンがあるようです。いかなる意図をもって作成されたかはいまだわかりません。

 ちなみに、春藤倚松も、これらの記号群・詞の存在を知っていましたが、その意味・意図をはかりかねて「諸彦の考定を俟つ」との言葉を残して後世の研究に委ねています。

 いずれにしても、S氏との共通認識として、文化財的価値はないと思います。ただ、私がふと思ったのは、もしかしたら、「うえつふみ」なる稀代の奇書は、突如として完成したわけではなく、何らかの試行を繰り返しながら誕生したのではないか、当該記号群・詞がそれに関係していないか、又は、その昔「うえつふみ」を目にした者がそれに感化されて作成したものではないか、ということです。以上から、そのような類の古文書が他に存在していないか、あれば比較検討してみたいと考え、ここでお尋ねしたわけです。

 S氏本人は、当該記号群・詞について「神道との関係はあると思うが、大袈裟にするような価値はない」と述べています。

コメントを有難うございました。





コメント1「うえつふみ」の写本では?管理者2007/03/10
驚きました。できますことならぜひ拝見させて頂きたいですね。
江戸時代末大分県で発見された経緯は当ホームページの
「年表:うえつふみの発見」
をご覧ください。
臼杵福良の大友氏所蔵の「うえつふみ」を写したものが昨年春藤家から臼杵市に寄贈され登録文化財に指定されたわけですが、これと別系統のものだとすれば「うえつふみ」研究上の大発見ですね。
市の文化財委員会にお知らせしてはいかがでしょうか。
専門の研究者が少ない(大分県にはいないのではないかと思っています)のですぐに正体がわかるというものでは恐らくないかも知れませんが。



 
No.6 みのもんた司会で九州古代王朝を探る番組吉田信啓2007/02/24
上記や神皇紀に書かれていますが、古代九州にはウガヤフキアエズ王朝があり、阿蘇霧島王朝の根拠地は国東半島の文殊山にあったようです。ウガヤ王朝第25代、26代の天皇は皇子たちを世界各国に派遣して文字を伝えさせたと言います。国東市成仏の山稜には
トミアキタラシナカオキスメラミコトの磐座があり、安心院町佐田には京石があり、古代の京を作ろうとしたとの
伝説があります。それらをベースにして、縄文時代、神武天皇以前に広大な九州一帯を支配するウガヤフキアエズ王朝があったことを検証します。テレビ東京ネットで3月23日午後9時からの2時間特集です。